天使のはしご 3月町だより

"March comes in like a lion and goes out like a lamb."

一生懸命生きてもむくわれないが、美しく生きろ

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産経新聞の数年前の人生相談の、精神科医熊木徹夫による返答。

 

「一生懸命生きることは、大きな成果を得るための必要条件ではあっても、十分条件ではない」。

 

 「どんなに頑張っても報われるとはかぎらないのです。その天の理不尽な仕打ちに、呪詛(じゅそ)の言葉を投げつけるか、何度打ちのめされても、執念深く立ち上がるか。それはおのおのの人生観の問題であり、美学の問題です。あなたが苦しむのは、人生を損得勘定で見ているからです。」

 

さらに医師は自分の「美学」を参考までに紹介される。

 

 「それは「どこかで誰かが必ず見ている」というものです。自分の立ち居振る舞い、ひいてはその心根を、隣人か、いや私の全然知らない人か、いや後世の誰かか、いや人間ではなく神か仏のような絶対者か、ともかくどこかで誰かが必ず見ている。」

 

 結果的に、この世で評価を受けることなく、死を迎えるかもしれない。ある種の諦念を抱えつつも、最期にそのことを納得できるか。有意義な余生であるか否かは、あなたの選び取った美学に照らして、あなた自身が決めればよいのです。」

 

今のわたしは、

この精神科医の美学の

「どこかで誰かが必ず見ている」について、「神さま」は見ておられる、と思いますが、ひと、については懐疑的です。「せせら笑って見ている」や「悪意を持って見ている」「ばかにして見下している」について、この半年何回も実感したからかと思います。

 

「神さまは見ている」ことと、「天の采配」について、やはりよくわかりません。ここに載せませんが、60代質問者の「一生懸命生きてきたのに、ひとをばかにし、ズルをするひとが幸せになり、自分は職も失い、何も無いまま」について、天の采配がなぜこうなのか、キチガイになるほど考えてもわかりません。

 

こういうときに「神さまはあなたを心配しておられる」「祈りはこたえられる」という言葉についても、やはりわたしの中に「損得勘定」が働くからか、そう言われる方々は、上から目線であり、この日本においていえば、安定した生活や安心した暮らし、家庭、経済に恵まれていると感じています。

 

「祈りはこたえられる」

はい、地上ではなく。この世ではなく。

 

例えば、ローマ・カトリックは「貧者の宗教」と言われますが、日本では違うように感じています。本質はわかりませんが。

 

「結果的に、この世で評価を受けることなく、死を迎えるかもしれない。ある種の諦念を抱えつつも、最期にそのことを納得できるか。」

 

これについては、全くその通りと感じています。この覚悟が足りない。わたしはいま、自分の最期がどのような野垂れ死にで、どれだけ汚い惨めな汚らしいものかを考えます。そしてその時にひとを罵ったり汚らしい言葉を吐くことなく、ひっそりと終わりたい。

 

たぶん

「一生懸命生きて、頑張って真面目に生きてきても、そのひとが願う結果になる可能性は低い。誰にも愛されず、見下げ果てられて、野垂れ死にする可能性もある。しかしそれでも、たとえ誰に見てもらえなくても、最期まで美しく生きよ。」

ということでしょうか。

 

この半年、ああ、嫌だなと感じる瞬間、いったい何が嫌なのかわかりませんでしたが、この文章でわかったことがあります。

 

「心配しながら、わたしを追い詰めた聖句や、投げつけた牧師、また信徒の言葉」は、

 

そのやりかたは、

 

美しくありませんでした。

 

おそらく神さまの目から見ても美しくない。

 

正しいのかもしれない、

当然かもしれない、

戒律に従うものかもしれない、

 

でも

美しくありませんでした。

 

何十年も相談した先生に、

親しく語った友達に、

近い親戚に、

あまりに冷たい仕打ちをうけました。

 

何十年も仕えた教会、嬉しかった働き、楽しみにしていたこと、それをすべて知っていた方々からは、冷たい冷たい仕打ちをいただいた。

 

神さまは見ている、誰か見ている、そう思っていましたが、違いました。

 

その方々を恨むとかではなく、

心が凍ってしまいました。

 

忘れようと思いますが、

なかなか心が砕けてしまい、

もうかけらも見えません。

冷たい仕打ちをした方々は、正しいと信じてしたのかもしれないし、でもまさかというほどのやり方もありました。その方々には、一瞬の娯楽でも、わたしには長く苦しむ傷になりました。

 

ただ、美しくないものからは

目をそらした方がよいかも知れません。

 

毎日を生きること、美しく生きること。

 

この世のすべての理不尽には抵抗できませんが、小さな毎日を破壊されませんように。

 

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