天使のはしご 3月町だより

"March comes in like a lion and goes out like a lamb."

PTG(心的外傷後成長)とは何か

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先日、シェルター責任者と話す機会が

ありました。

 

わたしのさまざまな事情をすべて知っていて下さる方ですが、

 

わたしの複雑性PTSDについて、これからのわたしの生活や問題、また想定される今後の問題などについて話をしました。

 

その中で、

 

「あなたの人生が子供時代から、なぜこんなに酷いことが、というものだったことは、本当に残念だし言葉もない。

 

ただ、あなたがいま、ひとりの時間に落ち込んだり悲しんだりしていることは聞いているけど、でも、頑張って子育てしたり、ご飯やお菓子を作り、きちんと生活し、他人に優しく、にこにこしながら過ごしているのを知ってる。

 

あなたはこれまで、何十年もたくさんの縛りや苦しみと生きてきた。でも、自分自身を失いながらも、ひとに優しく、笑顔を忘れず、頑張ったことは素晴らしい。

 

これからどうなるかはもちろんわからないけど、あなたは、きっと、PTGを経験するだろう。実はもう何年も経験しているかもしれない。

 

でも憶えていて。

PTGは誰もが経験できるわけではない。

 

これは、あなたが望んだ人生ではない。

 

でも、

さあなたの精神性はさらに高みに上っていけるはず。それがPTG。

 

もっともっと、高みに行って欲しい。

あなたには神さまがついてる、ってスタッフが話していた。

 

考えられない酷いこと

辛いPTSD

 

でもあなたの精神性はさらに高みを目指してほしい。」

 

PTSD(心的外傷後ストレス障害)は、阪神・淡路大震災、また東日本大震災後に、さまざまなかたちで知られるようになりました。

 

下記は、PTGについての解説のブログから、引用させていただきます。

 

https://susumu-akashi.com/2016/01/ptg/

 

「その一方で、あまり知られていない言葉があります。それは心的外傷後成長(PTG)。逆境を通して、人間的に成長し、深みを増す人たちを指す言葉です。

逆境を通して成長するという考えは、今まさに苦しみのさなかにいる人たちにとって、受け入れがたいものかもしれません。まるで苦しみや悲しみしかしこれから考えていくように、心的外傷後成長(PTG)は、苦しみを正当化するものではありません。

心の弱い人はPTSDになり、心の強い人はPTGになるという単純なものでも決してありません。」

 

 

 

1.苦しみを正当化するものではない 

PTGは「獅子の子落とし」や「苦労は買ってでもせよ」、「神さまが成長のために与えた試練」では決してありません。

つまり、苦しみや困難は、じつは良い意図によってもたらされた良いものだったのだ、という正当化を支持する概念ではありません。

 

2.押しつけるものではない

PTGは、今まさに苦しみを経験している人に、「試練を通して成長しなさい」というメッセージを押しつけるものではありません。

PTGは苦しい経験をしている人が目指すべき目標のようなものではありません。苦しい経験をしても、だれもがPTGを経験するわけではなく、むしろPTGを経験しないほうが幸せなこともあります。

大変な被害にあった方、大切な御家族や友人を亡くされた方に、「そこから何か学びとることがあったか」というメッセージほど残酷なものはありません。

…苦しみからの成長を強調しすぎると、今まさに苦しみの中にある人をはじめ、苦しみにかかわる多くの人が余計に傷ついてしまう可能性があることは言うまでもありません。

 

3.修行・試練ではない

だれかにPTGを経験するよう強いることができないのと同様、自分で狙ってPTGを経験することもできません。

古くから、あえて自分を苦しい状況に置いて、人格を陶冶したり、精神を鍛えたりする「修行」に勤しむ人たちがいます。

しかし自分の意図で苦しい状況に飛び込み、人間として一回り大きくなるよう鍛錬することは、PTGではありません。

 

4.不謹慎に思われる場合がある

PTGと似た概念に「ベネフィット」(得たもの)という概念があります。どちらも、苦しみの結果もたらされるものに焦点を当てていますが、まったく同じ意味ではありません

 

たとえば、犯罪者が悪いことをして、刑務所に入れられ、その結果ベネフィット(得たもの)があると言い出したなら、被害者や遺族はどう思うでしょうか。

 

5.PTGではないものもある

最後に、一見PTGと似てはいても、PTGではないものも存在します。 (p122 、181)

たとえば、多くの場合、一過性の身体的病気などはPTGをもたらしません。ストレスの強い状況では一時的に「自分は変わった」と述べるかもしれませんが、いずれ「喉元過ぎれば熱さを忘れる」となって元に戻ってしまいます。

 

PTGを経験する人の5つの特徴

このように、PTGという概念は、苦しみを正当化するために用いられないよう、また他の人の感情を傷つけないよう、細心の注意を払って扱われるべきです。

それを確かめた上で、いよいよ、PTGとは具体的にどんなものなのか、PTGを経験する人の5つの特徴を考えてみましょう。

これから述べることはあくまで「傾向」であり、5つすべてに当てはまらないならPTGではない、というわけではないことにご注意ください。

 

1.中核的信念が粉砕される

PTGは、苦しい経験を通して、単に少し見方が変わった、というようなものでではありません。ちょっとした病気や、人間関係の行き違い、上司や先生からの叱責など、日常的なストレスで引き起こされるわけではありません。

PTGは、英語ではtransformative change、すなわち、人生観が根本から変わるような変化だと説明されています。比喩的な表現を用いるならば、新しい自分に生まれ変わるような変化です。

元に戻るという選択肢はなく、新しいものを積み上げていく以外他にどうしようもない中で経験されるような根本的な変化をさします。

PTGに至るきっかけは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に至るきっかけと同じです。

自分にとって衝撃的な出来事、たとえば戦争、災害、犯罪、重い病気、愛する人の死、いじめ、虐待、不登校など、心をズタズタに傷つけ、破壊されるようなできごとが始まりです。

そうした出来事は、自分がそれまで抱いてきた「中核的信念」「基本的価値観」をみじんに砕きます。

PTGとは、「新しい自分に生まれ変わるような変化」だとされていました。それは、つまり、まず衝撃的な出来事というハンマーで元の自分が粉々に打ち砕かれ、もはや修復さえもかなわず、新しく作りなおす以外に方法がなかった、ということを意味しています。

自分の一部だけ砕かれ、その部分だけ新しい石膏を固めて、取り急ぎ修復したような変化はPTGではありません。PTGとは「もう元には戻れない」という悲壮な逆境で、苦悩と涙のうちに新しい自分を彫り出すことなのです。

 

2.苦悩と向き合う

PTGを経験する人は、逆境のもとで、悲しい現実から目を背けず、苦悩と向き合います

苦悩に対処する方法は人それぞれであり、中には現実逃避することで、苦痛を和らげる人もいます。そうすることが必要な時期も、もちろんあるでしょう。

しかし東日本大震災のときの調査では、震災のことが現実でないように考えたり、そもそも考えないようにしたりしていた人は、PTGをあまり経験していませんでした。(p166)

すでに述べたように、現実逃避は、一見ポジティブに見えますが、PTGではありません。

問題からあえて目を背けることで、悲惨な事件は自分とは関係なかったのだ、と自分を説得し、過去に対し自分なりに幕を降ろしたとしたら、PTGからは遠ざかります。

 

3.中程度のPTSDを経験する

心的外傷後成長(PTG)と心的外傷後ストレス障害(PTSD)は一見すると、正反対の概念のように思えます。かたや心的外傷によって成長し、かたやフラッシュバックや過覚醒など重い後遺症に悩まされるからです。

しかしPTGとPTSDは正反対どころか、同じものの別の側面、表裏一体の関係をなしていることが少なくありません。

研究によると、ほとんどの場合、PTSDなしでPTGが生じることはありません。PTSDをほとんど経験しない人にPTGが起こることはまれです。しかし、逆に極度のPTSDを経験している人がPTGを経験することも少ないそうです。

PTGとPTSDの関係を表すグラフは、逆U字型になり、最もPTGを経験する人は、中程度のPTSDを経験している人だとされています。

つまり、PTSDが生じるような衝撃的な体験をしながらも、その症状をある程度抑え、コントロールできている状態の人がPTGを経験しやすいと考えられます。

 

4.侵入的思考から意図的思考へ

PTSDを抱えながら、それをコントロールしていく、というのは、「侵入的思考」「意図的思考」のバランスという観点から解釈できます。

トラウマ経験によってPTSDが生じ、絶えず衝撃的な体験が頭にフラッシュバックし、望んでもいないのにそのことを考え続けてしまう状態は「侵入的思考」(侵入的反芻)と呼ばれています。トラウマ記憶を自分でコントロールできない状態です。

しかし侵入的思考に向き合い、それを整理しようとするうち、やがてトラウマ経験を自分から進んで解釈するようになるかもしれません。これは自分でコントロールしていく「意図的思考」(建設的反芻)です。

考えるつもりがないのに考えてしまう苦痛に満ちた段階から、あえて考え、自分から向き合うことへと変化する、これがPTSD症状をコントロールし、PTGへ至る人の歩む過程だといえます。

こり「侵入的思考」と「意図的思考」はどちらも、統計によると女性に多いことがわかっています。そのため諸外国の統計では、PTGは女性のほうが経験しやすいというデータが出ているそうです。

とはいえ、日本の研究では、それとは違う可能性も示唆されていて、性差についてはまだよくわかっていません。

侵入的思考から意図的思考へと切り替え、トラウマに対して自分の意思で向き合っていくことは、トラウマの様々な治療法の重要な特徴でもあります。

 
子ども時代の慢性的なトラウマ経験がもたらす5つの後遺症と5つの治療法
子ども時代の慢性的なトラウマが、統合失調症双極性障害と見分けにくい様々な問題をもたらすことや、その治療法としてトラウマフォーカスト認知行動療法、自我状態療法などが注目されている点

5.経験を共有する

PTSDの「侵入的思考」に悩まされている人が、「意図的思考」を培い、PTGへと成長していく過程には、他の人と経験を共有する過程が大きな意味を持っているといいます。

自分の話をだれかに語り、親身になって聞いてもらうことが、自分の心を整理し、客観的に考える助けになることがあります。

ここでポイントとなるのは、一方的に自分ばかりが話し続けるような場では、かえってPTGから遠ざかることもある、という点です。

他の人との関わりからPTGへ至った経験に最も多いのは、自分が辛い経験を吐露でき、相手もそれに応じて自分の経験を語ってくれた、という「話し手」「聞き手」の役割がなくなった場合だといいます。

自分のことばかり一方的に話し続け、相手の反応に耳を傾ける余裕もないやりとりだと、自分の苦しみに注意が向きすぎて、侵入的思考に一層とらわれてしまうかもしれません。

しかし経験を共有できる双方向のコミュニケーションのもとでは、自分もまた慰め手になることにより、別の観点から「意図的思考」を働かせることができるようになります。

そのようなわけで、昔から、難病の患者会や、悲惨な災害や戦争の当事者会、遺族会といった場は、時代を超えて大切にされてきたのでしょう。

 

PTGはハッピーエンドではない

このようにPTGという概念は、PTSDやトラウマと向き合い、それをコントロールしていく道のりだといえます。

PTGは、荒れ狂う突然の大嵐によって翻弄され、船の帆が折れるかのような絶望的な状況に追い込まれたとき、想像を絶する苦闘の中で船の舵をなんとか再び握り、少しずつ人生のコントロールを取り戻していくことにたとえられるでしょう。

PTGが、たいていの場合PTSDなしでは生じないことを思うと、最初に述べたような、「苦労は買ってでもせよ」のような、おいそれと人に勧められるようなものではないことがはっきりわかります。

こちらの記事では、ナチス強制収容所を生き延びた人たちの平均寿命が長いことが、PTGの一例として紹介されていますが、人間的に成長したくて、自ら強制収容所に入りたいなどと思う人はいないでしょう。

 

healthpress.jp

報でQOLを高める~ヘルスプレス/HEALTH PRESS はてなブックマーク - 世界最高齢はアウシュビッツからの生還者! トラウマは「ポジティブな精神」の源泉にも|健康・医療情報でQOLを高める~ヘルスプレス/HEALTH PRESS

PTGは誰もが目指すべきゴールや華々しいハッピーエンドではありません。

PTGにもトラウマにも終わりはないはずです。

…成長の多様性、一本の右上がりの矢印では表現されえない成長を考えることで、PTGがハッピーエンドとは全く異なるものだということが、理解されるのではないかと思います。

PTGは、避けられない苦しみ、終わりなき苦痛、もはや二度と拭い去れない悲しみを心に抱え、のたうちまわり、傷だらけになりながらも、それでも未来を見つめ、一歩ずつ一歩ずつ自分の足で歩いていく人たちを意味する言葉なのです。

それはちょうど、難病中の難病と呼ばれる筋萎縮性側索硬化症(ALS)当事者であった藤元健二さんが、閉じこめられた僕 難病ALSが教えてくれた生きる勇気でつづっている心境そのものでしょう。

前向きですねと
言われることに
違和感がある
前以外に
どこを向くのだろう 

PTGは逆境から学ぶという美談ではなく、逆境のもとで成長を遂げるしか生き抜く道がなかった人たちに訪れる、ある種の適応だといえます。極限状況下で生きることを強いられる生物が極めて異例な能力を身に着けているのとよく似ています。

 

 

自分だったら絶対耐えられない、とだれもが思うほどの残酷な苦痛がこの世界には色々存在しています。しかし不幸にして、それらをどうしても耐えざるを得ない状況におかれ、逃げ道を完全に絶たれた人がたどり着いた生き延びる手段、それがPTGです。

 

過去は決して変えられない。もはやあの頃の自分には戻れない。それでも、それら辛い経験すべてを自分の一部として受け入れ、ただひたすら進んでいく。そうする以外に、もはや自分には選択肢がないことを知っている。

 

被災者、サバイバーとしての悲しみ、治らない疾患、うずく傷、失った時間、それらすべてのものを背負いながら、今度は自分が、そうした悲劇を繰り返させないために社会を変え、渦中にある人たちを救う役割を引き受けよう。

 

あるいはその逆に、そうした記憶すべてを抱え、それらを自分の一部と認めつつも、被害者、患者としてのアイデンティティへのとらわれを捨てて、その先にある自分だけの人生を生きよう。

PTGの「成長」は人によってさまざまな形を取ります。

 

しかしどうしようもない苦難は人生にはつきものであり、程度の差こそあれ、だれもが何かしらの逆境に直面します。だれもが人生の航路で嵐に直面します。

 

そのようなとき、逆境を乗り越え、傷つきながらも人間として深みを増し、PTGに至った人たちのストーリーは、渦巻く雲のはざまから明るい光を放つ一等星のように、闇夜にひときわ輝いて見えることでしょう。

 

今まさに荒れ狂う嵐の中にいる人に、自らの魂を燃やして進むべき航路を指し示し、希望を見せてくれる。

 

だからこそ、いつの日も、時代を超え、形を変えて、PTGを経験した人たちの物語は、絶えることなく語り継がれているのかもしれません。

 

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