天使のはしご 3月町だより

"March comes in like a lion and goes out like a lamb."

「星に変えてください」という祈りは叶えられたのか

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読むのを控えていた本ですが、意を決して読み始めました。ただ、「今読むのは危険」と感じるページは開きません。いまのところ、飛ばし飛ばしで約半分ほど読みました。

 

著者のナディア・ムラドさんは、ヤジディ教徒ですが、特別違う神様を信じているようには感じません。本の中に何回も出てくる神様の話が身近に感じます。

 

昨日印象に残った箇所は、イスラム国に村を襲われ、家族を殺されたナディアさんが、若い女性だけがイスラム国の性奴隷にするためにバスに詰め込まれて行く時に、お母さんから聞くのが好きだった古いアラビアの恋のお話を思い出すところ。

 

「ライラとマジュヌーン」というそのお話は、結婚を反対されて結ばれずに亡くなっていった若い恋人たちが星になる。

 

「……私はふたりの恋人たちを思い、泣いてしまうのだが、母からこのお話を聞くのが好きだった。怖いと思っていて空が、ロマンチックに思えてくるからだ。ライラという名前は、アラビア語で『夜』という意味で、母は、話の終わりにいつも空に輝くふたつの星を指さしてあこう言った。『ふたりはこの世で結ばれなかったから、あの世で一緒になれますようにと祈ったんだね。だから、神様がふたりを星に変えてくれたんだ』

 

  バスの中で、私も祈り続けていた。『どうか神様、このバスから出て空に昇れるように、わたしを星に変えてください。もしも、前に一度できたのなら、もう一度できるはずです』と。だが、私たちを乗せたバスは、モースルに向けてただ走り続けた。」

……(「わたしを最後にするために」より抜粋)

 

夜空の星に変えてくださいという祈り、とだけ読めば、民話のような光景すら浮かぶ文章ですが、これは住んでいた村を破壊され、学校に集められ、兄たちも含めた男性はすぐに銃殺され、母親とも引き離され、身内の若い女性たちとバスに詰め込まれて、性奴隷にされにいく中で見上げる空を見ながら、逃げられないバスの中で彼女が考えていたこと。

 

星に変えてくださいという、切実な祈りはもちろん叶わず、それからさらに酷い苦痛が、彼女を待ってました。

 

ここを読んで、ああ、祈りはこういうものなのかなと、ふと思いました。

 

叶わないとわかっていても願う祈り。

 

この後、彼女は様々な悲惨極まりない体験の後にイスラム国を脱出し、ドイツに渡り、人権活動を始めていきます。

 

小さな村に住んでいた頃の、美容室を開きたい夢は無残に終わり、彼女が予想だにしなかった運命が展開しています。それはおそらく全く望まないことだったでしょう。「私は人前で話をするようには育てられていない。」という言葉がものがたります。

 

結局、ノーベル平和賞を受賞したわけですが、わたしはこれを「神さまのご計画は素晴らしい」と言いたくない。アメリカのリハビリセンターの壁にある祈りのように「望んだものは叶わなかったが、わたしは最も祝福された」と言いたくない。名もないちいさな人生が幸せなはずなのに。

 

ただ、

星に変えてくださいという彼女の祈りが、イスラム国を脱出する時に手助けしてくれた人たちへの祈りに変わっていくさまが、「星になったのかな」とふと思わされました。

 

「……そしてまた真顔に戻ってこう言った。『神様がいてくださる。ナディア』

『神はあなたと共に。ナーシル』。」

(「わたしを最後にするために」より抜粋)

 

祈りは

叶わなかったけれど、

叶えられたのか?

 

これほどの出来事、理不尽な暴力殺戮の中での言葉。

 

「神はあなたと共に。」

 

叶わないとわかっていて、けれども願う祈りが、本当の祈りに思えます。期待したり、あからさまな祈りは嘘のよう。

 

まだ彼女の旅も、わたしたちの旅も続くようです。

 

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