天使のはしご 3月町だより

"March comes in like a lion and goes out like a lamb."

死にたいと言える自由があって初めて生きることができる

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わたしはわたしに「死にたい」と考えることを許した。20年を越える結婚生活中で考える自由発言する自由はなく、自分の希望を言えばほぼ必ず「主人と姑に逆らう不届き者」として無視されたり怒鳴られたから。家庭は失ったがわたしは初めて「死にたい」と言える。元夫には「殺してください」と頼んだ…

 

「殺してください」と頼んだ時、元夫から「おまえを殺して犯罪者になるのはまっぴらごめんだ」と言われ、また長い時間が過ぎた。殺されず生かされない。すでに人間ではなかった。


死にたいと言える自由。


わからない方は幸せな人生だと思う。そして絶対に分かり得ない。

 

死にたいと言える自由を手にして初めて生きることができている。

 

子供の事を考えて生きろという言葉は、時に相手によっては凶器になる。つまり自分が生きられないから子供も連れて心中しようとする。これが理解できないなら、この言葉をもって誰かを励ますことは、その方はできない。


今もまだ以前に関連する事象や物品に逢えば、周囲の色も音も瞬時に変わりわたしはここにいなくなり、その日その時に戻り苦しくて吐き震える。これは身体症状で今のわたしは制御できていない。

 

世の中もひとの心も正論では解明できない。わたしは自分の希望がわからない。怖れの気持ちが身体を包む瞬間があり、まだ対処できない。これをわたしの怠慢や前向きでないと捉えるむきもあるけど、誰もわたしではないのだから、真実はわからない。

 

「85歳で60年間の強いDVから逃げた女性に今から新しい人生をと励ます人間の傲慢と残酷」を医師が語っていて、深く納得した。


理不尽に残酷な人生を強いられたひとに、幸せなひとは何もできない。


その人にも誰にも言わずに、その人の日々の為に祈ってほしいだけ。

 

幸せなあなたが子供の誕生会を家族でしていた時、わたしは元夫の叱責に謝り土下座しても許されなかった。


幸せなあなたが家族で出かける日に、わたしは経済的な不備を責められ子供たちの前に正座したまま怒鳴られ続け子供たちはずっと見ていた。


幸せなひとたちの平穏な日にわたしは泣いていたから。

 

いま、幸せな方々がわたしを助けるという。幸せを願うという。


ではお願いしたい。


あの、20年以上前の泣いて土下座して謝るわたしを誰か助けに行って。


全てを終わらせたいとサラダ油と紙とマッチを手に外に出て震えたわたしを助けると言って。


過去ではない。

あのわたしはまだここにいる。

泣いている。

 

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